20代後半で余命宣告をされるまで、命があるのはあたりまえだと思っていました。
震災で家が壊れるまで、家があるのはあたりまえだと思っていました。
20代で父が他界するまで、父はずっとあたりまえのようにそばにいてくれるものと思っていました。
そのときの私はきっとエゴのかたまりでした。
『1日たりとも平凡な日なんてない!日常は奇跡の集まり』
今の正直な思いです。
家があること
太陽が分け隔てなく無償の愛で照らしてくれること
手が動くこと
暖かい食べ物が食べられること
友人がいること
子どもたちの笑顔が見られること
朝がくること
夢があること
生かされていること
あなたがいること
これらは私にとっては『奇跡』です。
「もし今日が人生最後の日なら」
そう思うと世界が変わります。
家に、緑に、木々に、太陽に、家族に、友人に、世界中の子どもたちに、太陽に、今まで支えてくれたすべての人に、世界に、宇宙に・・・。
その日私は大切な家族、仲間とともにただただ感謝の時を過ごすはずです。
そんな感謝の対象に日常は溢れています。
日常と、あなたはまさに奇跡の存在です。
—–